農林水産省が作った「なんで日本は水田を選んだのか」という内容のサイトがあるが
気が向いた時にでも読んでみてください。水田が好きになるはず。
https://togetter.com/li/1892960

水をめぐる争い ─── いわば集落全員の生死をかけた争いです。待っても待っても雨は
降らず、太陽がジリジリと照りつけます。土にヒビが入って稲も枯れ始めます。どこかの集落が
耐え切れず、夜中に上流の堰を壊しに行きました。村中が殺気立ちます。人々は手にカマや
クワを持って集まり、戦国時代さながらに川を挟んでの乱闘が始まります。
九十九里平野の水争いは、江戸時代から昭和に至るまでに50数回記録されていますが、
これは訴訟を伴うような大きな争いであり、小さな水ゲンカはいつも起こっていました。
明治27年、栗山川の水をめぐって両岸の農民2百数10名が、手に鍬、鋤、竹やり、日本刀、
仕込杖に白装束にて激突、不幸にも2人の犠牲者を出しています。また、昭和8年の干ばつ
では、ある農民が水利組合長を刀で切りつけたり、農民が大勢押しかけ村長宅から米を強奪
したりというような話も残っています。
長野県の梓川も水量が少ないため、両岸(松本市や安曇野市など)では常に水争いが繰り
返されてきました。特に江戸時代後半の水争いは激しく、江戸表での判決に及ぶこと数回、
多数の犠牲者を出した記録を持っています。
大正13年に起きた流血の惨事。この年の夏は大変な日照りが続き、梓川扇状地の水田
約1500ヘクタールが収穫皆無に近かったといいます。手に鎌や棒を持ち両岸に対峙した
農民達は、投石や殴り合いを繰り返し、ついに多数の警官の出動となりました。
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kagaku/kokudo/06.html

何という蛮族の国___