150キロ先まで響いた艦砲射撃


茨城県日立市の艦砲射撃の記事を読むたびにそのすさまじさを思い出します。

私は1945(昭和20)年夏のある夜、群馬県高崎市の北高崎駅で空襲警報を聞き、信越線に沿って逃げました。
その時、東の方からズズン、ズズンと地響きがし、汽車でない何かが追ってくるような、不気味な響きにおびえながら西へ西へと逃げました。
いつまでも地響きはやまず、私は疲れ果て、田んぼのあぜにうずくまって震えていました。

それが日立への艦砲射撃だったと後日人づてに聞きました。
日立―高崎間は約150キロ。
不気味な地響きから、いかに大きな砲撃だったか思い知らされました。

8月14日夜の高崎空襲では、私はいつもの道路左側の田んぼでなく、なぜか右側の田んぼに伏せました。
左側の田んぼは機銃掃射でバシャバシャと水が跳ね上がり、間一髪命拾いしました。