耳をつんざく艦砲射撃の音
髙橋 正和京都府79歳

「どかーん」。
耳をつんざく砲撃音が海の方から聞こえる。地面が割れるようなものすごさ。「合戦準備」のラッパが鳴った。「起きろ」と週番生徒が怒鳴る。1945(昭和20)年7月30日の深夜。私は跳び起きて防空壕(ごう)に向かって走り始めた。

私は静岡県清水市(現静岡市)にあった高等商船学校の機関科生徒で、また海軍予備生徒として厳しいしつけと訓練を受けていた。11月をめどに水上特攻の訓練も始まろうとしていた。

砲撃は激しく続いた。空を見上げると、青や赤の閃光(せんこう)が清水の町へ何条も走っている。恐怖心を通り越して美しいなあと感じながら防空壕を目指して駆けた。

米駆逐艦数隻が駿河湾に侵入、艦砲射撃を行ったと翌朝の整列時に知らされた。学校に被害はなかったが、町の被害は甚大だった。警報もないまま突然砲撃を受けたうえ、何の反撃もできなかった。日本は敗戦に近づいていたのだ。

姉はこの艦砲射撃を新聞で知り、私が死んだと思い、泣いたそうだ。日本は平和な時代が60余年も続いている。永久にこれを続けなければならない。