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補給兼偵察型2隻と550t型12隻で1個作戦部隊を編成。これに補給隊として補給兼偵察型2隻が付く
補給兼航空偵察型 イ54型の若干速度低下(艦本式22号10型ノーマル4050HP・2150t)・魚雷発射管2門減 補給用燃料250t・魚雷4本など搭載
(最初期は補給専用としてイ53型4隻とイ56・イ63の6隻が一部改造の上で配置される)
最前線基地から2000海里先で1回目補給を受け、1500海里先へ進出して直径150海里のゆるい攻撃哨戒網で待ち受ける
攻撃哨戒網での期間は32日(引き継ぎ各1日)。期間中最低1回の補給を受ける
攻撃を受けるないし攻撃寸前まで無線使用禁止。ただし、航空偵察により敵を発見した場合は無線使用
水上最高速力も低速なため、近くに来たら攻撃するだけ
最前線基地から出撃して帰投するまで50日。休養・整備設備のある基地への回航にほぼ各1日で、整備・積み込みを専門員にさせて両舷上陸をさせても実際に休めるのはたった6日程度

550t型の単艦任務は訓練と800海里哨戒線
艦橋(司令塔)はなく長細い3段凸型見張兼機銃座があるだけ
艦本式22号10型は1938年建造艦から搭載。1937年建造分は550t型に全て割り振る
平時:完全2隊、本土沿岸哨戒2隊、訓練1隊ただし補給兼航空偵察型は28隻:補給兼航空偵察型28、550t型60、補給専用6。1943年(補給兼航空偵察型は1944年)配備完了予定
戦時:完全6隊、本土沿岸哨戒3隊、訓練1隊、整備補充1隊:補給兼航空偵察型28、550t型132、補給専用6

1937〜1942年の史実における年別日本海軍潜水艦起工トン数(71号艦・甲標的を除く)
1937年 8736t
1938年 15844t
1939年 20018t
1940年 12620t
1941年 24124t
1942年 52783t