巨大艦のドックがほとんどないにもかかわらず、巨大艦を建造し続けた
これとタンカー不足にもかかわらず最前線基地を産油地とは程遠いトラック諸島へ置いたため、現存艦隊主義を取らざるを得ず、
開戦から1年間の戦果拡大時にヒッキー状態となり、大量産そして真珠湾着底から復活させたアメリカの戦艦ないし空母艦載機や潜水艦に各個撃破されてしまった

大和型は建造しなければならないが、横須賀での建造計画自体とりやめ
呉工廠の造船・第四各ドック、そして三菱長崎の第2船台(と佐世保工廠の第七船渠)の3組指定

扶桑型2隻の改装ほぼとりやめ、
翔鶴型は実質雲龍型として建造、
大鳳は起工直前に建造中止だが斜め煙突実験は隼鷹型で行われて改雲龍型で採用
長期改装が必要な大鯨も潜水母艦維持など影響が出るものの、
巨大艦・大型艦用ドックに対する巨大艦・大型艦数は大幅に緩和される(9隻に対して5ドック。史実は14隻に対して6ドック)