昭和19年4月、南雲は中部太平洋方面艦隊司令長官に親補された。空母などの艦隊指揮を執らない名目上の司令長官補職をどう見るか。

格は高く先任序列に沿った配置だが、南雲に再び機動部隊の指揮を委ねるわけにはいかぬとの日本的“空気”が働いたのではないか。
また連合艦隊司令長官への途(みち)を事実上絶つ人事でもある。今後の戦局如何(いかん)では死に場所を与える含みもあったと思われる。もっとも、サイパンを訪れた草鹿に南雲は「米軍はサイパンなんぞに来やせんよ」と呑気(のんき)そうに答えている。