コレヒドール島攻略戦※敵の戦意はすでに衰えていた(笑)
大阪第4師団がコレヒドール島攻略に充当させられることになったのは、4月9日キング少将が降伏した当日であった。それまで本間軍司令官の頭の中では、永野支隊(21歩兵団)を使用するつもりであったが、あまりにもあっけなくバターンが陥落し、第4師団の損害が極めて軽微だったから急に第4師団が使用されることになったという。
第4師団にコレヒドール島攻略の準備を命じたのは4月9日であるが、攻略実施命令は4月28日であった。
準備命令から実施命令(5月6日)までの間が
約一ヶ月あり、第4師団の将兵はこの間に上陸訓練に励んだ。
もっとも砲兵と飛行機による攻撃は4月9日から行われている。
圧倒的優位に立っての作戦であったから一ヶ月の準備期間は長すぎた、ともいえる。
コレヒドール島攻略部隊は右翼隊、左翼隊に区分されていた。
(左翼隊)基幹=和歌山61連隊、予備隊=大阪8連隊
(右翼隊)大阪8連隊第1大隊、大阪37連隊

(左)実戦闘参加人員の半数の九百名の死傷者を出す=和歌山連隊。
(右)援護射撃が有効に作用した地点に上陸したため、戦火を交えることなく上陸=大阪連隊(笑)
(御田重宝『バターン戦』徳間文庫、274から278頁より)