対支那脅威論自体は、防研は取り込んでいたように思う。
その点では経済的利得の観点でしか見てなかった娑婆の国際関係論よりは随分とましだ

ただ、それだけでは不十分だ。
今の剣呑な戦略環境自体が「戦略的な失策」の産物ではないか?
支那という脅威自体、90年代まで遡れば、ある意味「アメリカと日本の失策の結果」なのではないか?
我々が「コントロールに失敗」した結果、今の支那の軍事的な脅威というものが存在するんじゃないか?

30年前まで遡れり「時間」を有効に使用する方策まで振り返ると、もっと「穏やかな今」を実現する余地があったように思う。
(当時の軍事政策自体はやや苛烈になりますが)

今となっては遅く、今、より強力で命懸けの「抑止」、場合によっては「戦い」を迫られますが、後学の参考のために。