具体的には、「インド太平洋同盟」を20年言いたいが、ぎりぎり15年前倒しで進めたかった。
これを突きつけていれば、支那も戦略のスタンスをもっと安全な方に置いてたと思うぜ。

後知恵じゃないよ?
やれる余地はあった。
ただ、日本の中からしてビジョンを共有するのが難しかった。
「自由と繁栄の弧」や「セキュリティダイアモンド」に対しても、かなり「冷笑的な」雰囲気がありました。
推進してれば、まさに我に有利な位置に「重心」が動いていたのですがね。