宇佐八幡神は新羅の神だった
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八幡神はもとはれっきとした新羅からの外来神だったのである。
別稿(日本人および日本の誕生)で述べたが、
鎌倉源氏は自らを「新羅」の末裔と信じた節がある。
ならば、守護神を八幡神とするのも至極当然である。
源氏の「白旗」とは実は八幡の「素幡」(しろはた)だったということになる。
そう言えば、「八幡」太郎義家と名乗った者もいる。

中略

秦氏の渡来は五世紀後半以降、数度にわたりあったとされている。
秦氏は新羅系加羅人と思われる。
六世紀半ばに加羅は新羅に吸収されるが、その前から加羅には新羅人が多く住んでいた。
秦氏もそういう一族である。
「辛国」のカラとは、秦氏の故地である「加羅」を指している。

香春社の神官は、赤染氏と鶴賀氏である。
どちらも秦氏一族である。
後者の「鶴賀」は「敦賀」と同音であり、
その「ツルガ」とは書紀にある「オホカラの王子ツヌガアラシト」の上陸地
(福井県・ケヒの浦)にちなむものである。
その名は「大加羅の王子ツヌガ」であり、「アラシト」とは加羅の一邑・安羅の人の意である。

秦氏も多く居住した敦賀には気比(けひ)社がある。
八幡神とされる応神天皇(ホムタワケ)には、この気比の神(イザサワケ)と名を交換し合ったという、紀記に載る意味深長な伝承もある。