>>221
6月後半のゼレンスキー大統領の反転攻勢の決意表明のあとで、いわば"7月危機"というものがあったと思う。
そこがドラマチックな場面になると思うが、詳細がまだ判明してないんでは。

7月上旬には、ウクライナ軍のザルジニー総司令官が、おそらくいままで以上に徴兵を徹底させようとして、
兵役年齢の男性の居所からの原則移動禁止を表明したが、国民やメディアの反発をまねいてしまうという出来事
があって、ゼレンスキー大統領が火消しに回った。
その混乱により、ゼレンスキー大統領の足もとの与党の「国民のしもべ」のほうからも経済優先の立場から
移動の絶対的自由を保障しようとする法案が最高議会に提出されてしまったし、他方ガソリンスタンドや街頭で
軍が市民に出頭令状を渡すのをやめてほしいという請願が大統領に提出された。

また7/5には、金利について政府と金融機関の折り合いがつかず、入札不調で軍事国債の発行がこれまでの最少額
しか調達できず、7月のウクライナ軍兵士の前線手当の支給にも遅れをきたすことになった。

結局、反転攻勢をしようにも兵隊もカネも集まらないという非常に苦しい7月の状況を乗り越えて、ロシア軍が
東部から南部に兵力を配置転換したという千歳一隅の好機をとらえて行なわれた、8月末からの反転攻勢だった。