戦争は、すでに戦前にひそかに進んでいた現実の再解釈というプロセスを加速した。
民族意識の出現を加速し、《ロシアの》という単語が、ふたたび生き生きとした内容を獲得した。

当初、退却が行われていた時には、この単語は多くの場合、否定的な定義づけと結びついていた。
たとえば、ロシア的な停滞や大混乱、ロシアの悪路、《まあ、なんとかなるさ》というロシアの宿命論的な諦念・・・・・・
しかし、いったん頭をもたげた民族意識は、軍事的な祝祭の日がくるのを待っていたのである。

国家もまた、新しい範疇に属する自意識に向かって動いていた。

民族意識は、国民的な災厄の日々には素晴らしく屈強な力となる。
そのような時の民衆の民族意識が素晴らしいのは、それが人間的なものだからであって、
民族的なものだからではない。それは民族意識という形で表現された人間の気高さ、
自由に対する人間の誠実さ、善に対する人間の信頼なのである。

しかし災厄に見舞われた時代に目覚めた民族意識は、さまざまな形をとって発展しうる。

国際主義者やブルジョア民族主義者から組織の職員を守っている人事部長と、
スターリングラードを死守している赤軍兵士とでは、民族意識が違った形をとって表れるのは言うまでもない。