>>837
文禄の役は明侵略が目的だったけど、明軍が参戦すると平壌から撤退するなど一気に後退し、碧蹄館の戦いで勝って漢城は確保したものの明軍撃破は無理っぽいということで講話交渉
慶長の役はハナから明侵略を諦め、朝鮮半島南部の領地化が目的と大きくスケールダウン
そもそも維持するのに多大なコストの掛かる領土なんて維持できるわけがないのに…

んで、基本引きこもっていたから、戦略的にはそう意味もない勝ち戦をし続け、秀吉の死で撤退

独裁者個人の妄想から始まり、途中で戦略目標が変わったところはウクライナ戦争と似てるのは確か