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13.海の無銘碑:小説「蟹工船」の背景 はじめに:
https://www.hokkaidos.johas.go.jp/wordpress/pdf/kitasanpo021.pdf

4.蟹工船の作業時間
午前、午後各15分の休憩があって実質労働時間は13時間30分に及ぶ

5.蟹工船の食事
蟹工船漁雑夫の食事 献立が載っている。
下記のの副食に対して主食の米は1日8合と豊かだったとの記載 もあるが、
現今の食事に比べると 驚くほどの粗食である。
動物性蛋 白質と生鮮野菜の不足が目立つ。
7月7日、朝食(4時半) 味噌汁(芋がら)、昼食(11時) 焼魚(鮭一夜漬け)、 夕食(5時) 三平汁(鮭・大根・玉葱・馬鈴薯)、夜食 任意
7月8日、朝食(4時半) 味噌汁(千切大根)、昼食(11時) 煮込(塩豚・馬鈴薯) 、夕食(5時) 味噌汁(大根)、夜食 任意
7月9日、朝食(4時半) 味噌汁(若布)、昼食(11時) 煮込(高野豆腐・蕨) 、夕食(5時) 味噌汁(玉葱)、夜食 任意
7月10日、朝食(4時半) 味噌汁(芋がら)、昼食(11時) 煮込(身欠錬・大根) 、夕食(5時) 味噌汁(ひき大豆) 、夜食 任意

6.蟹工船労働者の収入
労働者の賃金形態は複雑である。給料と九一金と 呼ばれる出来高報奨金、
ほか数項目に渉る手当てから成っている。
これも上記の資料に幾人かの例が載 っているが、高額なものではない。
昭和3年の蟹漁 夫100人の6ヵ月の平均所得、前借り金を差し引い て195円程度となっている。
大 正15年の博愛丸事件のように、ストを起こした漁 夫の場合は、監督者の権限行使で、
給料が大幅に削 減され得る仕組みになっていた。
その頃、途中病気のため送還された4人の平均賃 金額をみると、漁夫が一日1円45銭、
雑夫が1円 19銭である。 当時函館市内の賄い付き硝子工の一日の給与が2 円、
同じく菓子製造工が1円60銭であったという から、それらに比べて明らかに低額であった。
当時のマスコミ報道の中に、「海の監獄部屋」なる用語が用いられ、
タコ部屋労働と同列に扱われてい るのも首肯される所である。

日雇い労働者(東京)、日給、1.6円