米国のペリーが江戸湾の入り口である浦賀に来航して開国を強請したのに対して、ロシアのプチャーチンは律儀にも長崎に来航して開国を要求したことで、幕末の最初はロシアは礼儀を守り、信頼できるという声が上がり、江戸湾で「祝砲」をぶっぱなすアメリカや、アヘン戦争するイギリスへへの嫌悪感があった。だからロシア正教も水面下で広まり始めた。

ロシア軍艦対馬占領事件がこのムードを一変させた