その昔、政治家一家に生まれたサッカー好きが、地元にJクラブを作るんだ!というスローガンで県民を巻き込み、
自ら背番号11を背負って、JFLからJ2に昇格させた愛媛FCというチームがあった

昇格したはいいが、ギリギリの戦力なのでそもそもJリーグを戦えるのか
そこに手を差し伸べたのが、海を隔てた隣の県の、サンフレッチェ広島だった
この頃の広島は、ペトロビッチ監督の元、ユース黄金時代を築いており、分厚い選手層を擁していた
後年、日本代表を多数輩出するのだが、そのため若手の試合出場機会が限られるのが悩みだった

そこで、昇格直後の愛媛に、期待の若手を貸し出すことにしたのだが、コレが後の日本代表、
MF高萩洋二郎、DF森脇良太がブレイクするきっかけになる(森脇は今年、愛媛に帰ってきた)

余談になるが、この広島ユース黄金世代のエース、天才の名をほしいままにした前田俊介は
奔放なプレーに対するペトロビッチ監督の説教が一言一句残るなど伸び悩んで、
しまいには「マエシュンを諦めない」というネットスラングまで生んでしまうことになる