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初日のスペツナズによる主要官公庁襲撃が40年前の嵐333号と違って統制だたず少人数バラバラになり、ウクライナの警備兵により容易に撃退されてしまった。市内親ロ派組織との連携もできなかった。原因は侵攻作戦の機密の度が過ぎ現場で準備ができなかったため。
ホストーメリ空港襲撃もウクライナ軍の予想外の抵抗で迅速な占領は貴重な精鋭空挺兵に大損害を出して失敗。
翌日力づくで占領したが、この空域のウクライナの防空が生きていて増援拠点としてとうてい使えなくなった。
ウクライナの防空網撃滅に失敗したことと合わせて、この侵略は開戦数時間で頓挫が決まってた。
その後にロシアがやってたことはなにもかも泥縄の失敗の拡大再生産よ。