まず大前提として、WWⅡ当時の世界は大不況の最中にあって、地政学的に自国だけでやっていけるアメリカを除けば、植民地を持ってる国だけが持ち堪えているような状況下にあった。しかもブロック経済を敷いていた。
そこでドイツは『民族の生存圏』なる概念を作ってフランスを統治下に置き、ポーランドやウクライナなど東方へ進出していった。同様のことはイタリアのエチオピア侵攻、日本の『大東亜共栄圏)にも言えている。

しかしアメリカを含め、世界は植民地独立へと進んでおり、そもそも日本に植民地扱いされる中国や東南アジアにとっては民族自決を否定されることになるから激しく抵抗していた。そこへアメリカなどが日本を掣肘してくる。
そこで日本としては、経済封鎖に対抗するために仏インドネシア植民地へ進駐したり、三国同盟を結んで対抗したり、タイ王国と関係を深めたりしたし、大陸では欧米諸国による援蒋ルートを遮断しようとしていた。

しかし欧米は蒋介石への援助を止めないし、ロシアは毛沢東など共産匪を扇動していたので、そうした国への牽制として太平洋戦争が開始された。ヨーロッパでは既にドイツとイタリアが戦争を始めている。
日本としては、欧米がヨーロッパの戦争に注力すべく大陸から手を引いてくれることを願っていたし、それ以上のことは望んでいなかった。アメリカやヨーロッパ諸国への侵攻や占領は考えてもいなかった。

しかし日本の意に反して欧米は引かず、戦争は世界規模のものに発展して、世界のパワーバランスを決定すべく大規模なものになっていった。WWⅡはWWⅠと共に、19世紀から続く一連のパワーゲームのクライマックスだった訳だ。