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そして1905年の日露戦争で極東に派遣されたバルチック艦隊の各艦の金庫には、戦費や寄港地での物資買い付け用その他に使うために
金貨や銀貨や高額紙幣が詰まっていました。

そして日本海海戦によりバルチック艦隊は壊滅し、残存艦艇も這う這うの体で逃げ惑うものの、やがてそれらの艦も降伏や自沈を
強いられる事になりました。

そうなると金庫の中の金品も、日本軍が接収に来る前に全て海中投棄しろとの命令が下ったものの、いざ金銀を目の前にすると
そんなもったいない事が出来るはずもなく、結局士官連中と主計科の連中が金貨銀貨や高額紙幣は当座の生活費として山分けし、
余った低額紙幣や銅貨はアリバイ作りの為に海にポイしました。

そうして思わぬ大金を手にした士官や主計科の者たちは、松山などの捕虜収容所に移送されましたが、多い者では数十枚の
英国ソブリン金貨を持っており、超ハードカレンシーの威力で物価の安い日本で毎晩飲む打つ買うの豪遊を楽しむ余裕がありました。

そして旧式巡洋艦が鬱陵島に擱座し、艦を自沈させた上で士官らに金品を分配して島に上陸させましたが、空腹の乗組員らは
言葉の通じない鬱陵島の島民らに酒や食料や寝床を要求し、その代金として金貨を差し出しました。

島民らは観た事も無いロシア兵と金貨に驚きつつも、官憲が来るまでの間乗組員らに持ち寄った酒や食い物を振る舞い持て成しましたが、
金貨のインパクトが余りに大き過ぎたせいが、後のその話に尾鰭背鰭がドンドン付いて、終いには

「対馬沖で沈んだ巡洋艦ナヒモフ号には莫大な金塊が積まれていた」

という財宝伝説として独り歩きしてしまい、21世紀の今でも時折ありもしない金塊を巡って詐欺事件のネタになるという、実に人騒がせな
金貨だったりしたのです。