>>394
残念ながら最新の考古学的な成果からすれば「弥生時代の全国スタンダードになった水耕稲作農法は対馬海峡北岸の朝鮮半島から伝わったのが確実」
これは、陸稲方式の頃から特徴的な石包丁を使った農法が朝鮮半島南部で営まれていたこととそれが水耕稲作に応用されたことがわかっていることがその証拠その1
そして日本の板付遺跡よりさらに200年古い紀元前11世紀の、しかも大規模な水耕稲作遺跡が釜山から出ていることが証拠その2
もっとも、板付遺跡以上に古い水耕稲作遺跡が日本本土から発見されるかもしれないんで、
「水耕稲作は対馬海峡両岸の温暖地域で発達し、弥生時代に入った日本に爆発的に普及した」
というのが無難なところでしょう

え?そこにいたのが誰かって?
倭人じゃないですかね。日本書紀で安曇族といわれる航海民族が山東半島あたりから持ち込んだんではないかと
現代の朝鮮民族に同化されてしまってY染色体ハログループにしか痕跡残ってませんが