「クリミアの干し殺し。」

クリミア橋の破壊とNATO軍による機雷封鎖で補給路が完全に遮断された。
徹底抗戦を主張していたプーチン軍であったが、降伏を余儀なくされた。
プーチンはアゾフ湾に浮かべた小舟にて切腹して果てる事になった。

これによってクリミアの兵士住民は救われたのである。
後世の歴史書でクリミアの干し殺しと呼ばれる事になる。