>>599
ほい
バブル期には壮大な構想があった

https://urbanlife.tokyo/post/71001/
そのプランは壮大です。まず上野駅は、40階程度の商業施設と住宅が入る高層ビルに建て替えられます。これだけならよくある再開発ですが、このときの構想は想像を超えるものでした。

建て替えられた上野駅から西日暮里駅まで、約2.6km間の線路上に25階程度のビルを建設し、住宅として供給するというものだったのです。当時の新聞報道によれば、具体的な計画は次のとおりです。

「総工費一兆円をかけ、上野-西日暮里駅間二・六キロの駅舎・線路上を主に利用し、人工地盤を建設した上に、中規模住宅が入る二十五階建て程度の住宅ビルを五年程度で数棟(計五千戸分)配置する。また、公園や商業用スペースもその上に十分確保するというもの」(『読売新聞』1987年10月11日付)