「捕虜は要らない」ってのはOUNの前身UPAのときからだったから
多様性があったゆえにラーダが機能不全で失敗して、ウク民族主義者はすっかりグレていた
ポーランドとソ連(とユダヤとロマ)と敵だらけだったし
しかも過激派民族主義者はオーストリア文化とウクライナ人意識の狭間でプライドを拗らせた西ウクライナに集中していた
自分は圧倒的少数派なのに殺すべき相手が多すぎた
だから「捕虜要らない」って真理(?)に早々に辿り着いてる

ウクライナじゃなくても捕虜にするか殺すかはかなり兵士のお気持ち次第
連中に嫌われたらヤバいよ