ロシアの青少年はたしかに反プーチン、反権威の面があって、ウクライナ侵攻後にあるロシアの街に
新設された「Z」のオブジェの蹴りを入れて逮捕されたりしているし、

20代を含むやや上の年齢層であっても、もともとロシアの右翼のなかですらプーチン愛が行きわたって
いるわけではない。何か愛国的な論評をするときに「プーチン支持というわけではないが」という断りを
入れる人が少なくないから分かる。

そういうプーチン忌避的な層にアピールしつつ活動してきたのがギルキンで、「プーチン支持というわけ
ではないが」と自分でも言ってた。しかし戦争だからロシアのためにプーチン批判はなるべく控えるという理屈だ。
最近また微妙に以前に戻してるみたいなのは情勢の変化だろう。

ギルキンには、体制の中心でなくて、周辺にいるひとを体制につなぎとめるという機能が期待されてるのでは。