私が具体的な例を最初に耳にしたのは開戦後わずか2週間後のことであった。

モンゴル国のモンゴル人の知人(当然親せきや知り合いは,国境の向こうにもいる)が
ブリヤード共和国(モンゴル民族)にいて,その中の結婚したばかりの若い男性が突然徴集され,ウクライナに送られたのである。

無論,その男性は武器も銃も触ったことすらなかった。そのような素人がウクライナに送られて,殺人しろと言われるわけである。

その後,ブリヤード共和国の首都ウラン・ウデに荷物が到着し始めた。

荷物にはロシアの隠語で200番と300番という荷物がある。300番は負傷者という意味である。
3月中旬に,200番が100個届いた。200番とは「死体」を意味し,100個の死体がウクライナ戦線から送られてきたということである。
そしてそのほとんどはブリヤード人とのことであり,先日の若者の死体もその一つであった。

これを知ったモンゴル国のモンゴル人も大きく悲しんだ。

ニューヨークタイムスの記事には,「ウクライナにロシアが侵攻し人々を虐殺するのを見て,モンゴルの若者がスフバートル広場で抗議の声を上げデモをした」とあるが,そこには,先進国の人々が単に民主主義がどうこう言う主張とは全く別の,同胞としての怒りが背景にあるのである。