そして香川県側への導水計画は吉野川水系の総合開発計画に飛び火する

ざっくり言うと、どれだけの水が必要になるかが変わるのでどんなダムを作るか計画が変わるのだ
とりあえずひとつの巨大ダムを作ろうかという話にまとまりかけた
ここで戦後になって増えたアカとバカが徒党を組んでやってきた
水没する村落を巻き込み、さらに風光明媚である大歩危小歩危という渓谷を水没させるというので大反対運動が巻き起こる
この段階で徳島の水を香川にやれるかという声が巻き起こり徳島県の民意になった

で、ダムをもうひとつ上流に作って貯水池を分けて水没を回避しようとかいやいやもっと巨大なものの方がいいとか大揉めに揉め、結局は早明浦ダムは水没回避のために計画よりさらに上流に、当初計画より数段(堤体が数十メートルほど)巨大になって完成する
効率は当然あまりよろしくないし建設費も余計にかかり数十年遅れた

早明浦ダム湖には当初、何はともあれ完成したことを祝して「四国はひとつ」という文言を刻んだ石碑が設置されるはずだった
しかし、結局は「四国のいのち」に文言が変更された

「あんな奴らと一緒にするな!」

きっと四県はみんなそう思っていることだろう