>>539
いわゆる「中国大返し」に際して秀吉軍は兵に装備はすべて外させて具足(鎧)や武器はほぼ全て荷車で運ばせ、何割かは船で海路で運んだ。
兵糧も行軍に必要な分だけ持たせ、余剰分は行軍の過程で追加購入した荷車や馬の代金、あと臨時に雇った荷駄要員の支払いに当てた(相場の何倍も払ってかき集めた)
これらによって最低限の軽装で行軍させたので兵の疲労も少なかったし、脱落者は荷車に乗せて運んだので「着いてこれない兵が続出して到着時には半分以下になっていた」ということも回避できた。

あと、そもそも高松城包囲の陣は即座に撤収できるように準備しながら包囲陣を敷いていた(光秀の反乱を予見していた……のではなく、毛利本軍が予想外/偵察の失敗でいきなり参陣してくる事態に備えるため)ので、即座に素早く撤収して幾内に引き揚げることは最初から想定済みだったので、行軍ルートと途上の準備(補給拠点を作る等)、手順は高松城包囲の段階で確保されてた。
なのである意味「予定通りに行動した」だけなので、ある意味作戦のうちなのだ。
理路整然と素早く撤収することが事前の計画に入っているので、兵の疲労も最初から考慮されているし、対策もまぁ万全だった。