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1905年3月には大山巌の指揮する満州軍は後退するロシア軍がこもる奉天を三方から包囲する大勢に入ったがそこで頑強な抵抗に会い大きな損害を出している
その後ロシア軍の司令官クロパトキンは奉天からの脱出を決め、包囲の開いていた北東から撤退を開始した
3月10日に日本軍は奉天を占領し、後退するロシア軍の追撃を続けたがそれまでの損害の大きさと補給が足りずに20km足らず進出しただけで停止
ロシア軍は奉天北東60kmにある鉄鈴からさらに後退し、以後両軍の直接的な接触はほとんどなかった

3月10日の奉天占領直前の戦線は奉天会戦のウィキペディア英語版記事に地図がある