「ただ自由を求めて」

死亡したアンドレイさんの場合、前線で恐怖を味わった時間は短かかった。母親のユリアさんは、23歳で前線に送られた息子は「まだ一人前の男ではなかった」と語る。天候について冗談を言うボイスメッセージ、そして少年の面影が残る軍服姿からは、醜い世界に巻き込まれた若者の心が垣間見える。

「息子は提示された金額を覚えていなかった。確認しなかったと言っていた。お金目当てだったとは思えない。ただ自由を求める一心だった。息子は9年半の長期刑を科されていて、これまでに3年を務めていた」

ユリアさんは、ウクライナの占領地にある訓練場で急きょ突撃戦術を学ぶアンドレイさんの映像を見せてくれた。無精ひげ姿を捉えた静止画もある。大きな迷彩柄のヘルメットの下から日に焼けた顔がのぞき、軍のトラックの後部に乗っている。前線にいた時間はわずかだったため、残された写真は少ない。

所属部隊が前線に送られるというメッセージがアンドレイさんから送られてきたのは5月8日だった。場所は東部の最激戦地のひとつ。突撃は5月9日の夜明けに始まる予定だった。現代ロシアでは5月9日は祝日で、旧ソ連によるナチス撃退を記念して赤の広場で盛大な軍事パレードが行われる。プーチン大統領が取り仕切った今年の式典は規模を縮小して開催されたが、専門家の間では、ロシアの兵器が損傷中か、ウクライナの前線に配備されているためだと指摘する声が出ている。

ユリアさんは涙ながらに最後のやり取りを振り返る。「息子と言い争いになった。恐ろしい言い方だが、私はすでに息子は死んだようなものだと思っていた。息子は全ての事情を知りつつ(ロシアを)離れた。私は毎日、『行ってはダメ』と言い聞かせたが、息子は聞く耳を持たなかった。『これから突撃する』と告げられたので、『森に逃げなさい』と書いて送った」