そもそも地動説はケプラーの師匠ティコ・ブラーエがその生涯をかけた天文観測の末に証拠がないとして棄却している。
地動説は計算が楽という理論先行だったし、その計算結果においてもケプラーが惑星軌道の各種法則を見つけるまでは既存天動説以下の精度でしかなかった。
理論的にも実務的にもケプラー以前の地動説は受け入れがたい存在だったりする。
地動説が受け入れられたのは既存モデルを圧倒する精度の天文表を作ったケプラーの功績が大きい。
さらに言えばブラーエが見つけられなかった地動説の証拠、光行差が見つかるのはケプラーの死からさらに100年の時間が必要なほど困難な作業だったりする。
中世の人間が天動説を信じていたのは別に聖書を盲信していたのではなく、当時の観測技術、精度で精一杯検証した結果に過ぎないんだ。