バードは敬虔[けいけん]な国教会派の牧師の娘であったが、宣教師としての教化を任務として
いたわけではない。それでも、日本でキリスト教の普及を阻むものは何か、という問いを抱えていた。
日本人はキリスト教の道徳観を心底嫌っている、と感じていた。犠牲、原罪、永遠の命といった
キリスト教の核心をなす観念にたいして、厳しい忌避感が示されることにも気づいていた。
日本人には原罪という観念がないから、キリスト教の教えがその人間観を変えるには長い時間が必要だ。
血の贖[あがな]いの教えといったものは、あらゆる命への畏敬や慈愛を説いてきた
仏教とは対極的であるし、神道にはそもそも来世に関する教えは見られない。
仏教が約束するのは、輪廻[りんね]転生による終わることなき生と死の連鎖であった。
日本人は犠牲と永遠の命を拒んでいる、とバードは考えていたのである。
西洋による植民地化は、つねにキリスト教の浸透・教化を伴うものであった。
いわば、日本人の宗教観がそこに大きく立ちはだかることを、バードは冷静に予感していたのだ。
欧米列強が日本を植民地として支配することに失敗した背景には、こうした「宗教戦争」の影が
見え隠れしている。日本人は無神論で、宗教をもたない「野蛮な」民族だと決めつけて、
かれらは安堵[あんど]を得ようとした。しかし、日本人の多くは、唯一絶対の神をいただく宗教とは異なるが、
豊かに宗教的な人々だと、わたしは信じている。
多神教的なもうひとつの宗教が、生と死の風景のなかに見え隠れしていた。
(赤坂憲雄 奥会津ミュージアム館長)

「原罪」とか「最後の審判」とか本気で信じてるのか?そっちの方が問題だろう