>>606
>上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」とした

その後この女は特亜の少子化を加速する秘密兵器に。

>竹宮は構想から1976年の発表まで7年の歳月を費やしたと述べており[7](つまり竹宮が構想を始めたのは上京前の1969年頃ということになる)、
>増山は竹宮が20歳の時に誕生したと語っている[6]。
>竹宮は一夜にして物語のプロットを頭に描き、翌日増山に8時間かけてストーリーを話した。

今は文化人面している竹宮恵子も半世紀前の若き日には、とにかくBL漫画を描きたくて仕方が無くこんな無茶ぶりをしていたのは笑う。

> 1970年代の東京でヨーロッパの情報を入手することは非常に難しく、ルキノ・ヴィスコンティなど大量の映画、洋書店巡りで入手した服飾・
>壁紙・家具の歴史の 洋書などを研究し、1972年には増山、萩尾望都、山岸凉子の4人でヨーロッパ旅行を敢行し、細やかで厚みのある19世紀末
>フランスの描写がなされた。

今なら目の前の箱や板でその手の情報は容易に入手できますが、50年前ではそうも行かないから盟友の萩尾望都や山岸凉子らと共に
欧州取材旅行を敢行しましたが、そこで得た知見は十分以上に作品執筆に行かされたでしょう。

しかしこんな同性愛の魁となる作品を未成年の少女の読む雑誌に公然と連載させる当時の日本も奥が深い。