ああ後数正の出奔理由に関しては本能寺並に所説諸々で、
・次第に秀吉の器量に惚れ込んで自ら秀吉に投降したという説
・秀吉得意の恩賞による篭絡に乗せられたとする説
・対秀吉強硬派である本多忠勝らが数正が秀吉と内通していると猜疑し、数正の徳川家中における立場が著しく悪化したためという説
・数正が徳川家に従わせた経緯がある小笠原貞慶が離反し、秀吉と内通したためにその責任を追及されたとする説
・秀吉との間で(秀吉のところに行けば)家康との戦を回避するという密約があったとされる説
・信康の後見人を務めていたため信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていたという説
・信康切腹後、徳川家の実権が数正を筆頭とする岡崎衆(信康派)から酒井忠次ら浜松衆(家康派)に移ったため、数正は徳川家中で立場がなくなったという説
・父の康正が家康と敵対して失脚すると家康の縁戚である叔父の家成が石川氏の嫡流とされ、数正はその功績にもかかわらず父の一件ゆえに傍流に甘んじざるをえなかったからとする説
代表的なのでもこんだけあるから好きなのを選んでいいよ