>>510
現実の問題として、天領の代官が抱える人手では厳酷な年貢徴収なんて不可能、
って事も有ってな。

天領代官の支配地は大体表高5万石くらいなんだが、五万石の大名が抱えているほどの
人員がそもそもいないし、代官手代に至っては多くの場合は在地の富農だったりするのでな。

勘定奉行神尾春央が任期中に取り立ててた年貢が大体平均で三割六分程度で、これですら農民一揆が
頻発する原因になってたりするし、年貢増徴のモデルケースにしようとした節のある
郡上八幡での増徴策は結果深刻な国一揆勃発の原因になっている。
(田沼意次が後に重商主義政策を指向した間接的要因、とも言われる。田沼意次が表の役人に抜擢されたのは、
この件で既存譜代層がサポタージュしているのに業を煮やした家重が田沼に「老中格」を付けて評定所の
五手掛審議に加えたのが始まり)