WW2前の帝国海軍の航空戦力の整備は、実に歪です。

1000馬力級の航空戦力に焦点を当てて1941-1942をピークに航空戦力を整備した。
その戦力は、海軍航空隊としてはアメリカと並び「世界最強クラス」と言ってよいでしょう。

ところが、それ以降の2000馬力級への換装にほとんど配慮しいていない。
特に「2000馬力級に対応できる空母」がほとんど存在しない。
南雲機動部隊の赤城、加賀、蒼龍、飛龍や他の改装空母群は2000馬力級の運用は艦のサイズから無理だ。
撃沈されなくても時代遅れになる。

それができるのは、信濃と大鳳くらい。大鳳の搭載機数が以外に少ないのを不思議に思うだろう?
あれは、2000馬力級を前提としてるので見かけ上、小さいからで、実際はほぼ唯一2000馬力級対応の空母です。
翔鶴、瑞鶴は搭載可能ですが機数が著しく少なくなる。

つまりは、山本五十六が、帝国海軍の資源を一点豪華主義で結集した空母機動部隊は1941-1942の僅か2カ年で、2000馬力級への換装伴い「時代遅れ」になる代物だったのですよ。
時間的な縦深性が「ない」。

これと、彼が1941.12に指揮系統をねじ曲げてまで真珠湾攻撃を主導したのと無関係ではないだろう?
また、ドゥーエニスト的には「制空」して「戦争は終わり」くらいに考えていたか?
(ミッドウェイにその片鱗が見える)

山本五十六「3年までなら暴れてみせましょう」

そりゃ、3年度の1943末から2000馬力級が主流になるからな。
山本五十六が整備した3年限定の装備は時代遅れになるから。