明治前期の欧州の輜重を研究した欧州各軍輜重の編成表があるのだが蒸餅という表記がある
和漢三才図会で蒸餅(じょうへい)とはオランダ人がパンと呼ぶ餡なしの饅頭の事と訳し
薩摩藩が軍用食の研究でパンを作っており薩摩藩では蒸餅と呼んでいたのが受け継がれた

これが次第にどうも日清戦争など外征軍に移行し大陸に派遣される機会が増えたため
中国の蒸餅と混同するのを避ける為か西洋式の発酵パンは中国語から借りて麺麭になり
中国式蒸しパンは蒸餅と別物になる
日露戦争では補給が滞った前線部隊では現地調達の小麦を利用した麺麭の支給
携帯糧食は蒸餅という通達が出ているが実際に行われたかは不明

米が手に入らなくなった師団では師団長などが自腹で米を日本で買い付けて民間業者が前線まで運んでいた
ちょんまげ時代の足りない物は指揮官が自腹で調達する慣習がまだ生きていた
正月料理や餅も師団長が自腹で買い付けていた