1017年、清少納言の兄、清原致信は、対立する公家の源頼親の放った武士たちによって殺害された。
このとき、致信の家で暮らしていた清少納言は、出家後の坊主頭だったため、致信の家臣と誤解され、
一緒に殺害されそうになったのだが、自ら着物の裾をまくり上げて大事なところを見せ、
「私は女だ」と主張したため、殺されずに済んだという。