マニラ死守を主張していたくせに、後に第14方面軍に無断で台湾に撤退した第4航空軍司令官富永恭次は非難され、壊滅状態となっていた部隊は廃止となった
ただし諸事情から軍令違反とはされなかったので、軍法会議とかは無し