>>750

塩屋さんは複雑な気持ちになった。
「うれしかった半面、『三時業』という仏語が浮かんで、恐ろしくなった」

三時業とは、善悪の業の報いを、本人が受けずに死んだとしても、
生まれ変わった後に報いを受けるという教え。

数百年前にキリシタンを守った寺の先人たちの善行に対して、
本当に世代を超えて報いが来たと実感した。

反対に、もし天福寺が当時、キリシタンを弾圧する側に立っていたとしたら、
今ごろどうなっていたのだろうかとも思ったという。



「例え『正義の戦い』であっても、してはいけない。
いったん戦うとお互いが『聖戦』を叫び、それぞれの一番弱い人たちが犠牲になる。
どんなにつらくてもお互い厳しい節制をして非戦の覚悟を決めるのが、政治であり外交力だと思う」