サンフランシスコ講和条約で北方領土の放棄を当時認めたと言ってるなら
いつ降伏したかを争うよりも日ソ中立条約違反について追及するほうが賢いのではないかねえ

1956年の日ソ平和条約の時点で2島返還でほとんど合意しかけていたが

>と、無念の思いは強いが、国後・択捉の両島を諦めて平和条約を併結する方針だったのである。
>ところが重光外相(鳩山一郎内閣)の態度はこの後急変し、国後・択捉・歯舞群島・色丹の「四島一括の帰属の確認」と強硬路線に転換した。
>なぜだろうか。公な文章にはなっていないものの、ここに冷戦下にあって日ソ和解を嫌うアメリカの横やり、つまり有名な「ダレス恫喝」が強く影響したのだ。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b0be95b102cabd16c4f43fa1ffaac4e20820b1a7