>>419
フランス総督ジャン・ドゥクーは、インドシナの権力期についての回想録「インドシナのバレ」の中で、北部で100万人が餓死したと記している。1959年、日本政府はゴ・ディン・ディエム政府と戦争補償について交渉し、日本側は犠牲者約30万人が餓死したと発表したが、ゴ・ディン・ディエム政府はその数字を100万人と発表した。1960年に最終的に合意された補償金は144億円(約3,900万米ドル)であった。
その後、ベトナムの歴史家は北部諸州の戸籍調査を通じて、100万人から200万人が餓死したと推定した。

200万人の死者数は、ホーチミンが1945年9月2日の独立宣言で言及した数字でもある。

「1940年の秋、日本のファシストたちは連合国と戦うためさらに多くの基地を開くためにインドシナに侵攻し、その後フランスの植民地主義者たちはひざまずいて降伏し、わが国の扉を日本人を歓迎するために開いた。それ以来、わが国民はフランスと日本という二重の鎖の苦しみに苦しんできた。 それ以来、我が国の国民はさらに惨めで貧しくなり、その結果、昨年末から今年初めにかけて、クアントリからトンキンまで、200万人以上の同胞が餓死の犠牲となった」

普通に日本軍のせいと言ってるぞ