【1000馬力級の零戦は、2000馬力級のF6Fヘルキャットに一掃された?】

・・・と、いうのは、あまり事実ではなく、実態としては同じ「1000馬力級のF4F」に1942-1943のラバウルからソロモン一帯の空対空戦闘でベテランパイロットを多数失い、劣勢に追い込まれていった。
F6Fは、マリアナ沖が印象的なのだが、F4Fの段階でほぼ帝国海軍の零戦部隊は磨り潰されました。
悲しい事実ですが。

零戦は、開発当時の帝国海軍航空隊にとっては「救世主」と言えましょう。
同世代の列国の1000馬力級と比較して「性能的には特に優れたところは皆無」の「平凡な機体」ですが、だがしかし航空「後進国・日本」が互角に戦える機体を持ったのが凄い。
現代の航空自衛隊の戦闘機開発の「ていたらく」と比較しても革新的だったと言えましょう。

だが、1942の空対空戦闘を通して、防弾云々以前に「金属骨組みに羽布張りの補助翼」という致命的なまでの後進性によって、「高速機動時のロールレート」が極端に悪いことがアメリカにバレた。
それで、中高速以上の航空戦で、F4FがスプリットSに入ると全くついていけない。
つまりは、火力・防弾以前に総合的なアジリティにおいても、まだ列国の「本物の全金属」の機体には追いついていなかった。

だから、本当に、一刻でも早く「せめて互角に戦える機体」を出す必要があったのだが・・・。
「烈風(≒F-3)」ね。あっそ。烈風(F-3)ですか。そうですか。そうですか。
戦争が終わってから、映画でも取るのですかね。