WW2の後期になると、敵味方の交戦機数が増え、航空優勢を争う空域と高度が拡大(戦闘行動半径1400km、高度1万m、速度700km/h)し、爆撃の対象も戦略爆撃から航空阻止、近接航空支援と多様化した。
そうなると、航空作戦は、大きなマクロでのATOの割り振りになり、戦闘機と戦闘機が戦うというよりも、敵味方の膨大なATOの相互干渉によりどうなるかが焦点になる。

戦闘機として、速度と翼面荷重のトレードオフは、依然あるとしても、「一撃離脱vs.格闘戦」みたいな比較は「古めかしい」ように思う。
アメリカのP-51ムスタングあたりも、単機での格闘戦が・・・みたいな発想はあまり無いと思う。
局地的な空戦というよりも、トータルな航空優勢を争う機体でしょう。

そんな中で、史実では途中で終戦になった本土上空での空対空戦闘が激化すると、P-51vs.疾風の血で血を洗う戦いになったでしょう。
航空優勢を掴みたいアメリカと、拒否したい日本。

そんな中で、紫電改の立場は、おそらく「気がつかない内に絶滅してた」「お、いつの間にか消えてたよ」というものでしょう。
残念ながら。
マクロな航空作戦という観点どうなの?と。
紫電+紫電改では1000機越えてたけど、改だけだと400機くらいで。