円山公園の坂本龍馬、中岡慎太郎の像は日露戦争で鹵獲したロシア艦の砲弾で作られ
戦時中の金属供出で鋳潰され戦後に再建されたものになる
しかし戦後再建されなかった坂本龍馬像は日本各地にあり戦時中に鋳潰され消えた

明治38年の帝国国策綱領で大陸進出の方針を進める上で人気の高かった坂本龍馬を
海外に目を向けていた偉人として国策で先覚者と呼んで顕正するようになり
海軍が日本海海戦の立役者と軍神に列し坂本龍馬像の建立に助成金を出した
こうして各地に坂本龍馬像がポンポン建てられたのだがカラクリがある

助成金を今で言う中抜きするために右翼団体が無理矢理市民や企業から募金を集めて建立していた
そういう事情もあって多くの所で戦後再建は関心を持たれなかった

勝ち組土佐藩では上級武士階級がそのまま有力者にスライドしたので坂本龍馬を
郷士風情とバカにするものが多く龍馬像建立ブームと無縁だった
業を煮やした右翼団体が高知知事を襲撃する騒動まで起きている
ようやく建てられたの昭和の事になる