Wikipediaにも
『8月6日には広島への、8月9日午前11時には長崎への原爆投下があったが、
 日本の降伏を決定付けたのは、8月9日未明のソ連対日参戦であった。
 日ソ中立条約を結んでいたソ連からの突然の宣戦布告と満洲国への侵攻により、
 大日本帝国には実質上「ポツダム宣言」の無条件受諾による降伏しか選択肢がなくなった。』

日本はソ連経由で講和交渉をしていたのに、そのソ連が対日宣戦布告してきたら
日本としては打つべき手段が無いからね。

『8月10日午前0時3分から行われた御前会議での議論では、外相の東郷茂徳、海相の米内光政、
 枢密院議長の平沼騏一郎が、天皇の地位の保障のみを条件とするポツダム宣言受諾を主張、
 それに対し陸相の阿南惟幾、陸軍参謀総長の梅津美治郎、海軍令部総長の豊田副武は
 「ポツダム宣言の受諾には多数の条件をつけるべきで、条件が拒否されたら本土決戦をするべきだ」
 と受諾反対を主張した。
 ここで鈴木貫太郎首相が昭和天皇に発言を促し、天皇自身が和平を望んでいることを
 直接口にしたことにより御前会議での議論は降伏へと収束し、10日の午前3時から行われた閣議で
 日本のポツダム宣言受託が承認された。』

原爆があと何個あるかわからんし、今のところ2都市の被害だけじゃん、
それだけを理由に降伏するわけにはいかないよね。