1940年5月:
ヒトラーは、ダンケルクでイギリス軍の逃亡を意図的に許す。
フランスを破り、イギリスの侵略者を大陸から追い払ったヒトラーは、スウェーデンの第三者を介して、イギリスに寛大な講和条件を提案する。

ヒトラーの講和提案は以下の通りである:

1- 大英帝国はすべての植民地を保持する。
2- 大陸におけるドイツの地位は問われない。
3- 地中海とフランス、ベルギー、オランダの植民地に関するすべての問題は議論の余地がある。
4- ポーランド。ポーランドの国家は存在しなければならない
5- 旧チェコスロバキア諸国は独立を維持するが、ドイツの保護下に置かれる。

ドイツに占領された国家は脱占領される。ドイツの占領は現在の戦況によるものでしかない。チャーチルは和平を結ぶことに興味がない。

1940年7月19日:
フランス陥落後、ヒトラーが帝国議会で行った「平和と正気のためのアピール」演説。この演説で、ヒトラーは再びイギリスに無条件の和平を申し入れた。

この演説は英語で印刷され、ドイツ軍機から数万枚単位でイギリス上空に投下された。英国内閣の半数近くはヒトラーの申し出を受け入れようとしたが、チャーチル(ユダヤの金で雇われた酔狂な貴族で、「英国の選挙民」によって大統領に選ばれたことはない)はそれを公に拒絶した。