>>919
そして明治維新と同時期の1864-1870年に起きた南米のパラグアイ戦争(またの名をブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ三国同盟戦争)は、
敗戦国となったパラグアイは開戦時に50万人以上いた人口が20万人余りに減り(つまり人口の2/3余りが戦死行方不明)、最後は女子供まで
徴兵した徹底抗戦も空しく、大統領フランシスコ・ソラーノ・ロペスも戦死してようやく戦争は終わりました。

この世界史上稀に見る悪戦により、パラグアイの成人男子の殆どが死に絶えてしまった為、戦争後のパラグアイの家庭は家長父制ならぬ
家長母制の国とならざるを得ず、人口の男女比が半々に近づくまで実に半世紀を要したとも言われますし、21世紀の今でもその名残で
パラグアイは妻や母親の発言力が強いカカア天下の国だとも。

そしてパラグアイの子供の日とは、パラグアイ戦争末期に多数動員された子供兵士の多くが戦死してしまい、我が子の死体を探し求めて
母親たちが泣き叫んだと言われる負け戦の日が、その悲劇を忘れぬ為に子供の日とされたのです。

日本だって明治維新の舵取りを誤った挙句、泥沼の内戦で国力をすり減らして列強の支配を受け分割支配されたりすれば、同じ様な
悲惨な歴史を辿っていたかも知れませんが。