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https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000255954.html
キーウから北に約40キロのデミディウ村。ロシア軍が直面したもう一つの大きな誤算です。
デミディウ村は、広範囲に水没していました。ウクライナ軍が水門を破壊。実行されたのは、侵攻開始の翌日、2月25日のことです。
デミディウ村長:「戦略的に重要なバリアとなっていて、ロシアの戦車が通れなかったのも、ここが水没したから。
洪水がなければ、計画通り3〜5日でキーウまで到達していたでしょう」

空港の占拠に失敗したロシア軍は、ベラルーシから陸路でキーウを目指すことになります。
最短ルートは、川沿いを南下し、デミディウ村を通過するものだったのですが、水没していたため通行不能。
ロシア軍は、一度、引き返し、大幅な迂回を余儀なくされました。

その後、60キロを超える車列でキーウを目指すことになったロシア軍は、ジャベリンなどで狙い撃ちされることになります。
結果、行き詰まり、1カ月後にはキーウ攻略断念ということになりました。

水没作戦は、ソ連時代、ナチスの侵攻を食い止めたものでもありました。
デミディウ村長:「1941、42年にナチスが攻めてきたときも同じ状況だった。デミディウ村を通ってキーウを攻めることできない。
デモディウ防衛ダムって標識です。ここは戦略的に重要施設」