>>313
ドイツに石油は売らないという指示はロンドンのオランダ亡命政府から現地の蘭印植民地政府には出ているけど、1941年の第二次日蘭会商の交渉では蘭印側は実績の年50万トンから185万トンまで日本に対する石油輸出量を増やすという回答をしている
この時日本が求めていた航空機燃料に関しては要求に答えられる生産量が確保できないとして受け入れなかったが、他の石油製品を増量するという譲歩までしている
しかしその後日本軍の南部仏印進駐、蘭印政府の日本資産凍結で昭和16年8月には日本側への石油引き渡しは停止されている

蘭印政府としては日本の強硬かつ過大な要求に苦慮しながらもできる範囲で要求には応えようとしたけど、仏印進駐やアメリカの対日禁輸で状況が変わって取引停止せざるを得なくなってる