>>574の続き

広島市から県北東部に伸びる芸備線という支線がありますが、被爆直後の広島駅では大動脈の山陽本線は線路の損壊や
鉄道上への瓦礫の散乱などで当日の通行は無理だったものの、北東に向かって走る芸備線は通行可能であり、機関車と
貨物列車も1編成が使用可能であった為、動ける駅員や乗務員をかき集めて汽車を動かし、途中で多くの被爆負傷者らを
拾い上げながら、広島市郊外の救護所に向かっていきました。

そして翌日もそのまた翌日も、この列車は負傷者を満載して往復していきました。